京銘茶ちきりやについて

ちきりやの歴史について

ちきりやは、創業安政元年(江戸時代・1854年)、
京都の老舗をもって知られる千吉(ちきち)の別家にて、呉服商を営んでいた秋山覚兵衛が、暖簾分けにより、山城宇治銘茶の販売を手掛けるようになったのがはじまりです。
※「千吉」とは千切屋吉右衛門を略した屋号です。

千切屋は少なくとも、1550年代以来、450年以上の歴史を持つ商家です。千切屋初代である西村与三右衛門貞喜は、弘治4年(1558年)に、与三右衛門貞喜は、三条通室町西入ルに法衣商の店を設けました。
その後、二代・与三右衛門雄貞の長男忠兵衛の子・治兵衛、四男長右衛門の三男・宗(総)左衛門がそれぞれ分家して、「千治(ちじ)」、「千総(ちそう)」が誕生しました。
また、四代・与三右衛門重貞の次男の吉右衛門貞利が後を継いで、これが千切屋吉右衛門、つまり「千吉(ちきち)」の始まりとなりました。

幼少の頃に「千吉」に奉公していた秋山覚兵衛は、宝暦6年(1756年)、分家して三条衣棚に店をかまえて法衣業を始めます。そして安政元年、五代・覚兵衛の時代にちきりや茶店創業となりました。六代・覚兵衛が茶の輸出にも乗り出し、博覧会に出品して表彰され、京都市茶業組合の副組長にもなりました。七代・覚兵衛は地域の有力者でもあって、京都市茶業組合組長や、明倫小学校(現在は京都芸術センター)の学務委員という役を務めていました。

ちきりやの大阪店について

昭和23年(1948年)大阪梅田の御堂筋に面した一等地に「ちきりや茶店」の大阪店を開き、昭和25年(1950年)に「株式会社関西茶業」として開設しました。
昭和32年(1957年)に大阪の阪神百貨店梅田本店に出店し、大阪の企業を主たる得意先として、営業を拡大していきました。

沿革

■安政元年  京都の老舗をもって知られる千吉の別家にて呉服商を営んでいた秋山覚兵衛が山城宇治銘茶の販売を開始したことに始まります。

■昭和23年  ちきりや大阪店を梅田に開設


■昭和25年  ちきりや大阪店が関西茶業株式会社として設立


■昭和31年  茶屋町に移転


■昭和32年  株式会社阪神百貨店取引開始(梅田本店にて)


■昭和43年  本社社屋建設


■昭和63年  静岡工場建設


■平成13年  自然農法センターより認定を受け、静岡工場が有機JAS認定工場となる

■平成18年  本社社屋 現住所に移転

■平成18年  静岡工場がISO9001(品質マネジメントシステム)認証取得

■令和04年  ちきりや 阪神梅田本店のショップリニューアル